現代に万博はもう不要?
万博の役目は終わったのだ
近年の万博では、大衆に対して希望やわくわくする未来を見せることが出来なくなってきているように感じます。人々は万博が提供している情報など、ネット上でいつでも自由にアクセスでき、目新しさも驚きもなくなってしまったのです。
機能していた過去の万博の歯車
過去、大きな成功を収めたパリ万博や大阪万博、それらは皆、上記のように上手く歯車がかみ合った結果であり、単に多くの費用と人員を投下して万博を実施すれば良いというものではありません。
現代の万博は、歯車がちぐはぐで噛み合わなくなってしまっているのではないでしょうか?
万博の自己矛盾
国際博覧会条約1条1項「万博の定義」
「…公衆の教育を主たる目的とする催しであって、……将来の展望を示すものをいう」
万博は、「公衆の教育」を目的とすると条約上明記されています。
そのため、単に客集めさえできればいい商業施設とは性格を異にするものであり、そこが万博の衰退に繋がってしまっている面があると思います。
そもそも、国家が「公衆を教育」するという構図自体に違和感を覚える方も多いのではないでしょうか?私たちは、当にその違和感こそ万博衰退の真因の1つと考えます。下記をご覧ください。
万博開催国家の思惑
- 大衆を教育して愛国心を高めてやろう。
- 万博を成功させれば支持率上がるぞ!
- 過去に成功した万博を見れば、最新技術による進歩を見せつければ国民は感化されそうだな~。
大衆の感覚
- 最近の教育現場は、自主性や自律性を重んじるよね。義務教育でもないのに、お上から押しつけ型の教育なんて古いし、嫌だ。自分の学びたいものを自由に学びたい。
- 僕は今の政権には反対の思想なのに、巨額の税金を使って私たちに「教育」しようなんて、ハラスメントだ!
- ここ数十年で生活レベルは上がって進歩を果たしてきたけど、それが幸せなのか分からなくなってきてるぞ。
多少極端かもしれませんが、開催国家と万博のターゲットとなる大衆の間には、こんな感じの感覚のズレが21世紀に入りどんどん拡大していそうです。
これでは「万博の目的」と「大衆の欲望」の蜜月という歯車がかみ合いませんね。
万博は、その存在を保証する自身の定義によって、自身の存在を脅かされるという矛盾を抱えているのです。
つまらないテーマパーク
なぜ万博はつまらなくなった?
個人差はあれ、万博がつまらなくなっている、劣化しているというのは事実といえるでしょう。万博を楽しみにしている人は、皆さんの周りにあんまりいないのではないでしょうか?特に他国開催の万博ともなれば、もはや評価の対象ともならず無関心が大半ですよね。(笑)
前項で見た万博の存在そのものが抱える問題とは別に、その他の歯車は機能しているのか見てみましょう。
万博を推進する2つの歯車
万博のコンテンツそのもの以外に、万博を成功へ導く大きな外的要因として、先ほど2つ挙げました。
これは万博がテーマパークの一種である以上不可欠の要素でしょう。では、万博の演出は過去約100年間でどのような進化を遂げてきたのでしょうか?
19世紀、産業革命後の黎明期の万博では、商品が大衆の生活に密着した分かりやすく革新的なものだったため、陳列して見せるだけでも大衆の心に響く効果を得られました。また、この時代に芸術の都パリで何度も開催されていることからも、万博は芸術性を強めていきます。その最たるものが万博の代名詞とも言えるパビリオン建築でしょう。
しかし、20世紀に入り、産業革命の恩恵が一般化し始めると、単純な陳列だけでは不十分になっていきます。その結果、より娯楽性を提供するため、体験型展示へとシフトしていくのです。さらに、シカゴ万国では初めてテーマを設定し、よりメッセージ性のある内容を、芸術や娯楽体験によって躍動させることで大衆を惹きつけたのです。
万博の今
最近の万博はどうでしょうか?テーマ設定や芸術的なパビリオン、技術体験といった要素は健在です。
ではなぜ「万博の衰退」という肌感覚があるのでしょう?
まず、環境問題や社会問題といったテーマ設定により、娯楽性を後退させている傾向があります。それに伴い、芸術面でも、進歩を掲げた夢のある芸術から、現実を見据えたリアルな芸術が多くなっている気がします。
これでは、なんとなく気軽に万博に遊びに行こうという気持ちになり難いでしょう。
このテーマ設定が重くつまらなくなってしまった背景には、1994年に採択された第115回BIE総会決議があります。決議では、テーマについて下記のように述べています。
1.すべての博覧会は、現代社会の今日的なテーマを持たなくてはならない・・・
2.テーマは、科学的、技術的及び経済的進歩の現状と、人間的、社会的な要求及び自然環境保護の必要性から諸問題を浮き彫りにするものでなければならない・・・
国際社会全体の課題・問題という、漠然としていて大衆の日常からかけ離れた、重いテーマ設定になったこと、これらの諸問題が20世紀に設定されてから革新的な解決を遂げていないことが周知の事実であること、このような事情からも大衆が万博に夢を見なくなっているのはないでしょうか?
さらに、かつては動く歩道や観覧車などであった最新の体験は、現代ではIT技術を駆使したVR体験などに置き変わりますが、高度に情報化された現代社会においては、最新の技術体験が身近なものとなり、万博における体験の革新性がなくなってしまったのです。
また、現代の技術体験は、映像を基調としたものになりがちで、来場者に本物の躍動感が伝わりにくく、かつての観覧車といった物理的な高揚感を得られにくい点もつまらないと感じる一因でしょう。
国際社会の諸問題の解決を掲げ、延々と解説の展示や映像を流すようでは、ちょっとつまらないというのが本音ですよね...。
芸術、技術体験、テーマ設定という過去に万博を成功に導いた要素が上手く機能していないのです。
産業革命後の工業生産の見本市として発足した万博は、冷戦中にはパビリオンにそのイデオロギー対立が映し出される等、今や数ある国際イベントの中でもひと際社会情勢の煽りを受けやすいイベントなのです。
オリジナリティ
万博黎明期からすると、現代には多種多様なテーマパークや商業施設といった手強い競合相手が多数存在します。そんな中でも万博でなくてはならない、万博にこそ行きたくなるような独自性を万博は維持してこれたのでしょうか?
ここに至っては、正直なところ、一般大衆にとっての娯楽としては他の商業施設に見劣りするでしょう。愛知万博の冷凍マンモスなどの客引きの目玉コンテンツもありましたが、自由に気軽に移動ができ、情報を手に入れられる時代、万博でしか見れないものを提供するハードルは格段に上がっています。
とてつもないスピードで流れる情報を日々追いかけてアップデートする商業施設に対し、国家運営故の様々な制約に縛られながら、一過性のイベントとしての万博が太刀打ちできるでしょうか?
情報の流れについていけない万博に提供できるのは、どこかで聞いたことのある、見たことのあるような展示になってしまいました。
革新性という至高のオリジナルコンテンツを万博は失ってしまったのです。
巨大で不毛な21世紀最大の無駄
さて、ここまでの議論に鑑みると、万博は明らかに輝きを失っており、国境を越えた自由な経済活動によってあらゆるモノの価値が規定されるようになった現代世界において、その価値は著しく低下しています。
価値あるサービスを提供できず、需要者も万博を求めていないというのに、この巨大な国家事業を継続する意味があるでしょうか?
マスノスケの悲痛な叫びは、何も極端な過激思想という訳ではありません。
実際、2015年のミラノ万博でも開催反対のデモが起こっている他、先進各国は消極的で近年は開催国に名乗りを上げていません。現実に万博が「金の無駄使い」という認識は広まっているのです。
皆さんの周りで万博の情報が少なく、万博があまり知られていないのは、そのような社会認識の拡大によって、万博の宣伝に資金が投下されてこなかったからに他なりません。
では、もう万博は意味がないからやめてしまえば良いのでしょうか?
ここまで散々万博をこき下ろしてしまいましたが、万博の明るい可能性についても、考えてみたいと思います。